カナダバンクーバーへ留学中に英語を学ぶためにプチ起業をしてみた話。
カフェでもなく居酒屋でもなく、たこ焼きで英語を身につける
カナダバンクーバーに留学中に、自宅を学校の近くに借りてその家を人が集まる空間に変えていった話。
実はそれ以外にもやって見たことがいくつかある。
勉強は苦手だったが思いついたことを始めるスピード感だけはあった。そのおかげでたくさん失敗もしているが経験値だけはどんどん溜まっている。
失敗はその時はすごく嫌なもの。
なんでやー!!!って何度叫んだだろう(笑)
そしてちょっと凹む。
何かを始める時、ぼくは人一倍臆病になる。
チキンハートとガラスのハートでできてるんじゃないかってくらいに考える。
きっとなんでもすぐやってしまうのは、考えている時間が怖いからなのだと思う。
そしてその結果やっぱりよく失敗する(笑)
ただどんな失敗も経験したということ、そして5年後には笑い話になるということがわかった。
カナダへ語学留学中に自宅をいつの間にかプチ語学学校にしてしまった話。
カナダバンクーバーで留学中にプチ開業とシェアハウスを作成
別記事にも書いたぼくがカナダへ語学留学に行った話。
(キッカケやその資金はどう貯めたかはまた別記事に書こうと思います。)
英語が話せない中で留学に行く不安と、話せるようになりたいという気持ちは、いざ外の世界に出てみたら不安はなくなり、話したいという気持ちだけが残った。
出かけるたびにもっといろんな世界を見たい。
友達が増えるたびにもっとこの人とはなしたい。
その気持ちが強く、学校での授業は全然苦じゃなかった。
新しい単語を学ぶたび話せるようになってきてるぜ!という変な実感と、過去形や未来系なんかを話せるようになった日にはドヤ顔で友達と話して見たりしてた。(でも、これ全部中学1年生で学んでたはずなんですけどね。笑)
ぼくは今でも"環境"というものをいつもよく考えるようにしている。
これは仕事をするのに最適な環境か?
これは住むには最適な環境か?
環境が人に与える影響はすごくて、良くも悪くも環境に影響されることがある。
その環境が自分で選べて作れることが、海外へ飛び出る一つのメリットだ。
英語を話せる自分になりたいから海外で学ぶために飛び出た。そして日々勉強し成長できている実感もあった。ただそこには一つどうしても埋められない壁があった。
それは、、、
留学スタート時点で明らかな語学力の差があった
ぼくの英語は中学1年生レベルほどで、周りの友達はずっと上のレベルで勉強していたということ。
もちろん、それでも休憩時間や放課後は一緒に過ごしていた。
ご飯を食べたり遊んだり、日本人よりも外国人といるようにしていた。
それでも埋まらない圧倒的な語学力。
なんとか埋めれないものか。近づけないものか。。
学校で勉強する6時間以外の時間が勝負だ。
1日24時間。6時間学校で残り18時間をどうすれば楽しみながら学んで常に英語の環境に身を置けるだろうか?
そして次の日、ぼくは学校を休み不動産会社に行った。
ぼくの当時の考えで、最強かつ最適なアイデアは引っ越すということだった。学校から徒歩5分以内、駅までも徒歩5分以内の場所に家を借りること。ホームステイをしていたけれど、英語の環境とはいえ僕には楽しみながら学べなかった。その決断が、学校の近所へ引越しだった。
1日中まわって見つけた理想の物件。
マンションの16階。家賃は2~3個のバイトを掛け持ちする大学生の1ヶ月分くらいの金額。とてもじゃないがただの留学生が簡単に借りられるような金額じゃなかった。
でも借りた。そのお金で得られるものが目に見えていたから即決断。
こうして家を手に入れて自宅を学校帰りに人が集まる空間に徐々に変えていった。
フェスでも祭りでもそうだけれど楽しいところに人は集まる
家を借りるまでのぼくは学校が終わってから、ぼくはよく友達とカフェへ行ったりビーチへ行ったり、サッカーをしていた。その時間こそが一番生きた語学の勉強の時間だった。
学校で習うネイティブな発音の英語もあれば、様々な国からきている留学生の英語の発音も聞ける、その場で間違っていたら直してもらえる、新しい単語も教えてもらえる。
学校以上に楽しく学べた。しかも日常生活で必要なものばかりを。
この環境をどうすればさらに作れるか?引越した後もそれをずっと考えていた。
留学生のほとんどは同世代、もしくは若い世代の子達。
深く考えすぎていたけれど答えはシンプルだった。
楽しいところに人は集まるということ。
毎日がイベントなればどんなに楽しいだろう?
その日の夜、ぼくはスーパーでPS3、wiiのテレビゲームから、ボードゲームなどを買い込んだ。相当な金額だったけれど勉強代と思い購入した。
そして、毎日のようにたこ焼きやお好み焼き、日本のご飯パーティーや、ゲーム大会をやっていた。
初日は中の良かった3人。(コロンビア、フランス、韓国の友達。)
しかしこの1週間後には毎日ものすごい人が遊びに来てくれるようになった。
楽しいからと新入生をつれてきてくれればもう学校でも友達。
毎日のように今日は私が料理を作るよと各国のご飯会。
そんな風にアフタースクール=ぼくの家の流れが作れた。
そして出来上がった、常に英語の環境。
そして毎回、会費を数ドルもらってご飯(ゲーム付き)でやっていたので家賃を補えるくらいの収入になることだってあった。
自分が楽しいことを考えて、みんなも楽しめること。
そしてさらにそれが目的に沿っていること。
それが収入源になり、仕事になることも留学中に学んだ。
ちょっとしたことで人の心に残る人になれる
ぼくのカナダでの留学生活はちょっと特殊だったかもしれない。
そんな引っ越したり、ゲーム買ったりお金がかかって出来ないよと日本人の友達に当時ぼくもよく言われていました。
けれど語学学校のお金や航空券代に比べたら全然安い。そしてそのお金は消費でなく自分の未来につながる投資として払う感覚だったこと、そしてみんなが喜んでくれそれで自分も生活もできていたこと。
自分の楽しいと、人の楽しいが混ざると海外生活は何倍も楽しくなって、可能性に溢れると思う。
特技が、絵を描くことなら放課後カフェでデッサン教室をやってみてもいい。
ダンスが得意なら公園でダンスレッスンでもいい。
料理が好きなら友達の家に出張シェフでもいい。
自分の行動一つで実は可能性はものすごく広がる。
そしてそんなことをしていると、いつの間にかあいつおもしろいとか、いいやつだよねってちょっとレアな人になる。そうすると声がかかりだす。たくさんいる日本人の中で日本人=あいつみたいになる。こうなったら最強だった。
そんな風に語学を学ぶプラス自分のできることを合わせて考えてみてはどうかと思う。
自分の今できることって必ず誰かの役に立つことがある。
どこでやれば誰の役に立つのかな?そんな考え方をした結果、ぼくは語学学校の近くに家を借りた。
ぼくは留学が不安でしょうがなかった。
話せるようにかな?病気になったらどうしよう?友達ができるのかな?
本当にたくさんあった。
そしてそれはぼくだけでなくみんなが必ず持っていることだと確信した。
英語を話せる環境にするために自分で家を借りたけれど、結果そこに行けば友達が増える、楽しい人達で溢れてる、そんな風に学校に入学したて人達には安心する場と化していた。
結果、人の役に立って自分の目的も達成した。
ありがとうの連鎖が始まる
留学期間が終われば終わりじゃない。
みんなが集まれるようにと使った家を借リルために使ったお金は、楽しかった思い出だったり、遊んだこと、話したこと、過ごした時間の何かが一つはそれぞれの心に残っているものだ。そしてそんな思い出をそれぞれの国に持って帰って行く。自分の家族や友達に楽しかった思い出をそれぞれが話してくれる。
”あなたがそれだけお世話になったなら招待してあげなさい”
これは本当の話で、カナダで仲良くなった友人の家族から招待してもらい少し世界を回っていた。
自分が英語を話したかっただけなのに、留学前には思いもよらなかった贈り物をぼくはたくさん頂いた。
英語を学ぶ中で気づいた大切なこと。それは語学を極めることでなく、
人の心に残る生き方をするということ。
留学中や旅中の方は、さらにちょっとした工夫と挑戦をするときっと、もっと変わることがたくさんあると思います。
そしてこれから旅に行こう、留学しようと思っているかたへ。
世界はめちゃ広いです。でも近いです。
語学はめっちゃ大変です。でも楽しいです。
人との出会いって本当に最高です。
どうせ一度きりの人生、とびっきり楽しんでお互い挑戦していきましょう!
カナダバンクーバーでの語学留学中に気づいた語学を学ぶ上で大切な事。
語学留学も1ヶ月で充分話せるようになるいうこと
僕は日本を離れて海外を拠点にする生活を始めて5年目になる。
今でさえ自分の中で飛び回る生活が当たり前の生活スタイルになっているけれど
『日常言語の70%ほどが英語』の今の生活。
きっと中学、高校と学生時代の僕自身が考えもしなかった生き方になっている。
なんて言ったって僕は学生時代、本当に勉強が嫌いで苦手だった。
A〜Zまでですら、すらすらと言えなかった。
そんな僕が今英語を日本語、その他の言語を使いながら回芸で生活しているんだから人生本当にわからないものだ。
よく聞かれる事がある。
「どうやって英語を勉強したんですか?」
「私も英語を話せるようになりたいんですが留学したほうがいいとおもいますか?」
結論から言うと僕はまず、英語しか話せない環境を作った。
それがA〜Zまで言えなかった当時23歳が1ヶ月で海外生活も困らないレベルまでになれた一番の理由。
そして僕的には自分の経験から、日本の英会話スクールでなく留学、もしくは一人旅を進めている。あくまでこれは僕の個人的な考え方と経験からの意見です。
もちろん、日本の英会話スクールで学んでも英語は習得できると思う。
けれど僕は英語を学ぶことでなく、話せるようになった自分の先にあるものや他に得ているものこそすごく価値があるという事に気づいた。多分これが一番大切なことだと思う。
なんで日本の学校で習うのにそれでも話せないのか?
僕がカナダのバンクーバーに行ったのは23歳のとき。
知ってる単語なんて20個もなかったと思う。
なぜそんな状態で日本で学ぶでなく海外に飛び出したかといえば、単純に英語を話せる自分になりたかったからだ。
・旅行が好きだから
・英語を覚えてら仕事の幅が広がるから
そんな事を作った理由で話していたけれど、本心はただ純粋に英語を話せる自分になりたかったから。学生時代、勉強ができなかったからみんなが社会人になった今、人とは生活を送りたい、英語を話していてすごいと言われる自分になりたかった。
それが本心だった。
そんなぼくがカナダで通った学校。
もちろん一番下のクラスからのスタートで習うことといえば、
i go to school.
i like play football.
のレベルからだった。日本の中学生で習うことをまた23歳にもなってカナダにお金を払ってまでまた習い始めていた。
でもそのおかげで気づいたことがある。
英語が話せないと思っていたけれど、そんなことはなく実は使う機会がなかっただけなんだということ。なんとなく聞いたことがある単語、あっ!それ知ってる!というフレーズ、そういうものが意外とあることに気づいた。
間違ったらどうしよう?という自分の気持ちがいつのまにか、自分は話せないと自分に錯覚させてしまっていた。
案外、Helloの一言が言えるだけでも楽しいし嬉しかったりする。
なぜならその瞬間には"温度"が発生するから。
テキストに向かいあって学び蓄積するも勉強ならば、僕は言葉を発して"温度"で学ぶこともまた勉強かと思っている。
ぼくのいう"温度"とは人と人の間にある距離感と空気感のことだ。
Helloという自分のたった一言で、Helloと返してくれその瞬間に"温度"が生まれる。
そして何を言っているかわからないんだけれども笑顔で何かを伝えあい、byeと手を振って終える。
この瞬間ぼくの中には勉強しなければとか、学ばなければとか、資格とか経験とかそんなことは全部吹っ飛んで、こいつともっとはなしたい!!という気持ちに変わった。
友達が増えるたびにその気持ちは強くなる。
自分の好きなことを伝えたい、相手の国のことを知りたい、そんな気持ちはもちろん英語というものの吸収を早くしてくれた。
それ間違いなく"温度"があるからこそ感じ生まれた感情と自分の行動の変化だと思う。
いつか旅行に行ったら。。。
将来は海外で仕事をしたいから。。。
その気持ちよりも、目の前のこの人とはなしたい!!
その気持ちは何よりも勝っていた。
話せないんじゃなくて、話さないという選択を自分の中に理由をつけてしていただけだった。
自分なりの理想の環境作る
最初にもはなしたようにぼくは海外へ出るという選択をお勧めしている。
一人旅だろうが、語学留学だろうが、インターンだろうが、ワーホリだろうが、その選択を進めている。
なぜならば圧倒的に環境が違うからだ。
駅前留学で英語をみっちり勉強しても、建物から出た瞬間から目からも耳からも日本語が飛び込んでくる。
道行く人の会話、看板、広告、音楽、アナウンス、人、そのほぼ全てが日本語。
無意識の中でやっぱりどうしても慣れた言語というのは入ってきてしまう。
その点、外に出てしまえばそれらは全て外国語に変わる。
これだけでも、ぼくはものすごい差があると思っている。
電車やバスに乗るのも、コンビニで買い物するにも、薬局で薬を買うにも、
英語で伝えなければならなくなった時、否が応でも必要性を感じて勉強してしまう。
友達と話したいという気持ちとこの生活が重なり合うともうやらない理由なんてない。
だって、やりたいこととやらなければいけないことが一致するから。
英語が話せないと思う人ほど、そのまま海外に出た方が間違いなくいい。
行く前のぼくは不安しかなかったけれど、きっと行かなかったら一生後悔したと思う。
自分を変えるには環境を変えるのが一番。そんな言葉があるけれど本当にそうだった。
海外に行くことも、語学学校に行くこともだけれど、ぼくが1ヶ月で英語が普通に話せるようになった方法はまた別の記事で書こうと思います。
英語の先にあったもの
なぜ、英語を勉強したいのか?
ぼくはよくそんなことを振り返って考えた。
・仕事
・旅行
・資格
・趣味
理由は様々だけれど、やっぱりそんなことが最初に出てきた。
ただ今思うのは英語が全てでなかったということ。
学校で一番と言ってもいいくらい英語ができず留学したぼくが、なぜ学校で一番友達が多かったか?
歌うこと、踊ること、絵を描くこと、飲むこと、それと同じで英語も人とのコミュニケーションの手段の一つでしかないということに気づいたからだった。
話せないならHello !!!とめっちゃ笑顔で毎日いう。
わからなくてもその輪から出ることなく、なんかわかんないんだけどお前といるの好きだぜ!という空気感を出してみる。
ご飯行こうぜ!の誘いは断らない。
ぼくはまずこれを徹底した。
すると、あっという間に友達が増えた。(これが起爆剤となってぼくは、先にも書いたある方法を思いついて英語を10倍速で覚えた。)
英語が話せるようになりたいと漠然と考えていたぼくは、カナダに留学してみた。
めっちゃ怖くて不安で、不安で、不安しかなかったけれど、その時に一歩踏み出したことがその後の人生を変えてくれた。
あの時できた世界中の友達を訪ねて世界を回ったり、時には一緒に仕事をしたり、英語を間に日に行ったはずのぼくは世界中に人という財産を手にすることができた。
英語をおぼえたい。その気持ちは勇気を出して踏み出しただけで自分の想像を超える日常が待っていた。
だからぼくは、自分の経験から同じような気持ちを持った人たちに自信を持って進めている。
自分の枠の外側は怖くて不安だけれども、枠の外にはワクワクしかない。
僕がカンボジアに来た理由
キッカケなんていたるところにあった
「なんでカンボジアに来たんですか?」
海外を拠点に住んでいるとそんなことをよく聞かれます。
僕は今、東南アジアのカンボジアという国に家を借りて住んでいる。
そして旅行者の方と出会い会話になると100%の確率で聞かれる質問がある。
それが「なんでカンボジアに来たんですか?」ということ。
その質問の答えはいつもたった一つ。
「たまたまなんです」という一言。
もともと行きたいとは思っていたけれど、その前に出会ったフィリピンに不思議な魅力を感じて何かできないかな?と思っていてくるタイミングを作れずにいた。
そしてそんなフィリピンでの体験の報告会で出会った一人の男性に突然言われた一言が、「一緒にカンボジアに行かないか?」という言葉でした。
出会って数回しか会ってない人のその一声にぼくは即答で「はい!」と言っていた。
"自分がこれから何をしていいのかわからない。でも必ずこれからはなにか人の約に立ちながら生きていきたい。"
そんなことを強く思っていたぼくは、いつも周りに人がいて、自分の人生をしっかり生きているその先輩の姿に憧れていた。
自分を変えるチャンス、そうとしか思えずにすぐに返事をしていた。
自分を変えたい。そしてその中でいただいた人とのご縁。
それがぼくがカンボジアに来た理由。
初めてのカンボジア行きが決まってからの不安と期待
翌月にはカンボジアが決まってから、ぼくはワクワクと不安が入り混ざっていた。
・ついにテレビで見たアンコールワットが観れる
・カンボジアにはとんでもなくでかい湖の上で過ごす人たちがいるらしい
・カンボジアの子どもの笑顔はすごく可愛いらしい
・服や筆記用具を届けてあげよう
そんなワクワクは行くと決めてから買ったガイドブックに目を通す度に増していき、人に会って話す度に増していった。
でも怖いこともたくさんで、治安が悪いとか衛生面が悪いとか聞くと、もともと胃腸が弱いぼくは、もしもお腹崩したらどうしよう。もしもデング熱になったらどうしよう。病院ってちゃんとあるのかな?不安しかなかった。
でも本当の一番の強かったことは、自分が変われなかったらどうしよう?ということだった。
変に自分の中で、カンボジアはいいよ!世界観も自分の価値観も変わるよ!という言葉に期待しすぎていたからこそ、そんな不安をすごく持っていた。
日に日に高まる変な期待と不安。そして焦り。
出発前日には期待よりも焦りのがぐんと勝って、行きたくないという気持ちさえ生まれてきた。
でも当日、空港でチェックインを終えると、行くしかない。
その状況になったぼくは、変な覚悟を決めていたのを覚えている。
初めてのカンボジアで出会ったもの
特にこれといった目的もなく、先輩に声をかけてもらいやってきた初めてのカンボジア。
空港について飛行機を降りた瞬間の蒸しっとした空気。
「暑い」
それが一番最初の印象。
夜の到着便、辺りは真っ暗。
”俺は騙されないからな”そう警戒しすぎて、空港に迎えに来てくれていたドライバーさんの笑顔すらも警戒していた。
初めてのトゥクトゥク、空港から街中へ向かう途中。
”俺は絶対すられないからな”そう警戒しすぎてずっとリュックをギュッと抱えていた。
何もかもが始めて。
東南アジアで似ているなと思うことはあっても初めてなモノ・コトづくし。
知っていると体験するって天と地ほどの差がある。
初めてのカンボジアでそんなコトを強く感じた。
ぼくはこれといった目的もなくカンボジアにきた。
ただそこに何かがあると信じて、ただそこに行けば何か変わると信じて。
けれどそれで良かったと思う。
変われるとはなんだろう?
今の現実なのかそれとも、これからの未来なのか。
そんなコトを考えすぎて動かないのはもったいない。
ちょっとしたコトで大きく変わる。変われる。
ぼくがここに来た理由、そして今も大好きな国で住む拠点にしている理由。
大切なコトを教えてくれたこの国と出会えた人たちが心から好きになった。
たったそれだけ。
でもそれがカンボジアという国で気付けたぼくの人生の大切にしたいコト。
カンボジアシェムリアップはアンコールワットだけじゃない!在住者になった僕お勧めするベストスポットは?
やっぱり圧倒的に人気なのはアンコールワットですよね。
カンボジア=アンコールワット的なこともあり、訪れた人が行く確率は、
ほぼ100%じゃないのかなと思います。
どこが人気なのだろう?と思い、TripAdvisorでシェムリアップ観光でランキングをふと見てみました。
結果、、、、
1位・アンコールワット
2位・バイヨン寺院
3位・タプローム
・・・まさに想像どうりの結果でした(笑)
そりゃ、どの観光本にもSNS載っていますし当たり前の結果ですね♪
あの圧倒的な大自然と歴史的の建造物は人生に一度は見たいと思うはずですね!
僕も最初はそうでした。
カンボジアに来るたびにアンコールワットは欠かさず行っていました。
ですがカンボジアシェムリアップに住みはじめた今は年に数回程度・・・
激減した回数の理由の一つ(というか一番の悩み)に毎回観光チケットを買わなければいけないことがあります。
しかも!!!なんと入場チケットが値上げされたんです!!!
一日券20ドル→37ドル!!!
ほぼ倍です。。泣
それが素直な減った回数です。。。
ですが反対に行くことが増えたところもあります!!
それが、
カンボジアサーカス "Phare"
彼らと出会ったのは3年前。
そんなどハマりした僕。
彼らがアメリカ公演をするときに,
なんと飛行機に乗って追っかけたくらいの超ファンになっていました(笑)
サーカスのみんなを応援したくてアメリカまで行ってしまうなんてバカ以外のなにものでもない。。。
けれどそのアメリカでぼくは彼らとお互いのカンボジアへの想いと夢を夜な夜な語ることができた。
僕がカンボジアに来た理由。やっていること。どんな環境で育ってきたか。
彼らがサーカスに出会う前のこと。どれだけ努力をしたか、これから何をしたいのか。
そんな本気の話をカンボジアの同世代のみんなとアメリカでしていました。
カンボジアに戻り、僕がまずしたこと。
それは彼らアーティストがシェムリアップ市内のある集落で子供達のために建てたフリースクールを応援することでした。
ぼくは彼らのパフォーマンスはもちろんだけれど、
彼らが思い描いてる未来に共感できました。
”アートは人をポジティブにしてくれる。
ポジティブは人の人生を豊かに強くしてくれる”
そんな彼らの言葉は、嘘でもなんでもなく、
勉強だけでなく空いた時間に子供達にアートの授業をしに行き、自分のお給料で運営していた。
彼らのそんな努力と描く未来、行動を見ていると勇気をもらえた。
それが、僕がこれからも彼らを応援していきたいと思う理由。
ステージの上の彼らはスターでも一歩外にでると本当に普通の青年たちだったりする。
彼らの話の中で面白かったこと。
その一つにみんなの家が学校からの一本道沿いに隣接していることだ。
近所同士に住んでいた彼らは、毎日みんなで練習し、誰か一人でなくみんなでトップスターになっていること。本当に貧しい環境に生まれた普通の子供たちだったんだなということは、特別な才能よりも、自分の人生を信じる気持ちと努力でたいがいの道は拓けると感じました。
"人生はいつだって変えられる。"
なんでこんなにも彼らを応援したくて、惹かれていたのかの答えがこの言葉の中にありました。
誰よりも挑戦をしてきたからこそどんな境遇からでも人は変われることを経験として持っている彼ら。
そんな彼らのパフォーマンスだからこそ連日連夜スタンディングオベーションをもらっているんだと思います。
カンボジアシェムリアップ。
素敵な遺跡、景色、料理、本当にたくさんです。
けれど本当にぼくがオススメしたいのがカンボジアサーカス。
日本では見れない距離感で、迫力で、人間味で、引き込まれると思いますよ♪
感動して滞在中に3日連続で見たお客さんもいます(笑)
遺跡だけでないカンボジアの楽しみ方。
自然だけでないカンボジアの感じ方。
悲しい歴史だけでないカンボジアの強い力。
ぜひあなたの旅行のプランの一つに、カンボジアサーカスを見に行ってはいかがですか?
※ぼくもしょっちゅう行ってるので連絡いただければ一緒にいけます。普段はないちょっとしたサービスショットがあるかも!?ってくらいの特典ですが(笑)
カンボジア旅行が少しでも良いものになりますように☆
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
31歳。
・
大切な人を守りながらも好きな時好きな場所へ自由に生きること。挑戦を通して次の世代の子どもたちにワクワクの原動力を届けたいと思い生きています😊
・
・
◎好きな事◎
物作り研究、子ども、旅行、ご飯、雑貨、価値の掛け算、チャレンジ。
・Facebook・
https://m.facebook.com/yuta.goto0910
・Instagram・
http://instagram.com/sunfunrun86
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
僕らの人生はまるで○○。みんなが知ってるあの超人気ゲームから学んだこと。
まずは、結論から言ってしまう。
【人生=リアル ドラクエだと思ってしまってるという話】
ドラクエとは??
すごく簡単にいってしまうと、勇者(自分)が魔王を倒すというシンプルな物語。
魔王を倒すための旅に出るのだがその中で出会う仲間と協力し合い、成長して行くという流れ。旅する世界各地には様々なモンスターが出現するがそれらのモンスターを倒しながら、経験値やお金を貯めていきレベルアップし強くなり、貯めたお金で武器や防具を買いながら、より強い武具を装備させて、キャラを強化させて行き、最終的に魔王を倒し世界が平和になるという感じのゲーム。
本当に人生はドラクエみたいなものだと僕は思っている。
”好きなことを仕事にしたいんですが…''
大学生や、社会人の20代の子によくそんな相談をされる。
相談されたら僕は迷わずなんとなくの就職ならば、好きなことを選んだ方が良いよといいます。
だって一度きりの自分の人生だから。
なんとな〜く就職したって誰も自分の人生に責任を取ってくれないから。
僕が今学生時代に戻ったとする。
さぁもう卒業!この後どうする!?となって選択肢が公務員とフリーターなら僕は迷わずフリーターを選ぶ。
もしも自分が本当にやりたいこと、業種、経験があるなら就職という選択肢をとるかも知れないが、僕が何の特技もない高校生・大学生だったなら、僕の選択はフリーターを選ぶ。
そもそも大切なことの前提として自分で決断するということ。
みんなの流れに沿って決めたり、親の言うことを聞いて決めたり、何となくで決めると、いつか自分が苦しくなった時、誰かや何かのせいにしがちになる。
自分は不幸なんだ。あの時、こうしておけば…なんて風に、自分をj悲劇のヒロインにしてしまったりする。
人生なんて学生時代が終わるとそれまでとは比べ物になれないくらい選択と決断が多い。
そんな時、いつまで誰かの物差しを基準に自分の人生を決めれるのだろうか?
だからぼくは周りの価値観で決める就職はせず、フリーターと言う道を選んできた。
フリーターこそ自分の可能性を最大限に広げてくれる職業
就職や公務員にはなく、フリーターでは得られる素敵なものがある。
それは経験値。
ドラクエに例えて話そう。
ある日突然、自分たちの世界に魔王(問題)が現れる。その時、主人公のぼくは実家に暮らしながら遊んだり、お手伝いをしてり定職につかず、のほほんと暮らしていた。もうそれが居心地が良くて幸せだった。
でも、そんな幸せな日々は魔王を倒さない限りもうこない。自分のためにも、みんなのためにも魔王を倒さないといけない。
そしてただの少年が、急に少しのおこづかいと薬、木の棒を持って魔王を倒すためのぼうけんにんでる。この瞬間、職業は勇者となる。就職し、仕事をいもってる街のみんなは、怖い怖いどうしようと言いながら、毎日未来を恐れながら働いている。
毎日毎日、歩き回ってドラクエみたいに旅(人生)が進んでいって行くとする。
自分の家、地域、社会と言う知ってる世界から飛び出した途端に何も知らない世界になる。急にスライムみたいなモンスターが襲ってきて戦わないといけなくなる。でもめんどくさかったり怖くなって逃げることも選択して早く次の街へ行こうとする。
そして次の街についてもどこに何があるかわからない。魔王の情報を集めないといけない。
だから必然的に、人に話しかけて聞き回る。ぼくは魔王を倒したいんだと話すうちに、
実は私も魔王を倒したくて行こうと思っていたのと同じ目的を持った仲間に出会う。
そしてまた一緒に旅に出て、またスライムが出たぞー!、やばい敵が出たにげろー!なんて言いながら旅をするうちに、お金もたまり、経験値をつみ自分がレベルアップし強くなっている。
これを簡単に、公務員とフリーターに当ててみるとこうなる。
レベルアップしていくと、
公務員は役職と給料があがる。
フリーターは経験値があがる。
どういうことかと言うと、これって実は30歳、40歳になったら、すっごい差が出来てるとおもう。
ドラクエでは最初、自分は戦士という職業をやっている。
けれど経験を積み、レベルを上げていってあるところまでいくと、
戦士という職業を極めてそれ以上は成長しない。
最強の戦士にはなれた。すごく大変だったし最強になれて鼻が高い。
だけれど、それで、
"おれ最強レベルの戦士です!"って名乗ってるのもの選択肢としてはあり。
だって、社会定期に見たら、もう戦士界の先生でNo.1。
けれど目的は魔王を倒して、世界を平和にするってこと。
果たして戦士のまま挑んでその目的を達成できるのか?
とてもじゃないが戦士じゃ太刀打ちできない。剣の振り方しかできないから。。
ここで勇気を出して最強になった戦士という役職を捨ててみる。
そして次は魔法使いという職業を選んでみる。
すると、、、えっ!?
なんでこんなHP低くなってんだ!
攻撃力弱っ!!!
そんなことを最初感じながら、戦士だったらどんなに楽に進めてたかと思いながら進むとこから始まる。
でもでも同じようにコツコツと経験を積みレベルアップするに連れて、
あれ?自分で自分のHPを回復できるっていい!
こんなに遠距離攻撃がありがたいとは!
ってな感じで徐々にいまの職業に”慣れ”ていく。
するとまたまたあるときに最強レベルの魔法使いになって成長は止まってしまう。
そこでまた、最強レベルの魔法使いを名乗るのか?
それともはたまた職業を変えるのか?という選択が訪れる。
けれどこの時違うのは、自分が経験した職業の数だけ選択肢とレア度の高い職業(人物)になれるということがあるということ。
戦士と魔法使いを極めた先には、『魔法戦士』というレア度が上がった職業になれちゃったりする。
力も戦士並み
魔法も使えちゃう
そんなちょっと人とは違う自分になっている。
そして、戦士や魔法使いをやっている人や、なりたい人に経験として伝えてあげられることがある。何より魔王を倒せる自分に近づける(目的達成)
ドラクエとリアルな世界を合わせながら話したけれど、
これを繰り返すと、人がなんとな〜く生きてる間に、平社員が係長になってる間に、いろんなことを経験して勇者とか賢者とかスッゲェやつに自分がなっていちゃったりする。
そうやって好きなことをするってのは実は可能生がめちゃくちゃあるし、
自分をすごく成長させてくれ、たくさんの仲間にも出会えたりする。
ドラクエみたいに出来るようになった職業を捨てて変え、居心地の良くなった村を出て、新しい場所で素直に人に聞いて、今までより強い敵(壁)を倒していく人生にしていきたいとぼくは常におもっている。
だからこそ、自分で様々なことを決められる環境が多いフリーターをぼくは進めているわけです。
でも、それって最初はすごく難しい。
だって、怖いから。社会の大半の意見とは違うから。
だからこそすっごく覚悟がいる。
そんな覚悟は誰かに決めてもらったり、流れで決めていたら絶対に持てない。
自分で決断する。
まずはそこが第一歩。
ぼくの周りにはそんな職業を捨てて、自分の目的のために自分を変えて進化してる人がたくさん。自分勝手でもなんでもなく、自分の成長が人を豊かにして、社会に還元できると知っているからみんなは知れているんですよね(^^)