カナダバンクーバーでの語学留学中に気づいた語学を学ぶ上で大切な事。
語学留学も1ヶ月で充分話せるようになるいうこと
僕は日本を離れて海外を拠点にする生活を始めて5年目になる。
今でさえ自分の中で飛び回る生活が当たり前の生活スタイルになっているけれど
『日常言語の70%ほどが英語』の今の生活。
きっと中学、高校と学生時代の僕自身が考えもしなかった生き方になっている。
なんて言ったって僕は学生時代、本当に勉強が嫌いで苦手だった。
A〜Zまでですら、すらすらと言えなかった。
そんな僕が今英語を日本語、その他の言語を使いながら回芸で生活しているんだから人生本当にわからないものだ。
よく聞かれる事がある。
「どうやって英語を勉強したんですか?」
「私も英語を話せるようになりたいんですが留学したほうがいいとおもいますか?」
結論から言うと僕はまず、英語しか話せない環境を作った。
それがA〜Zまで言えなかった当時23歳が1ヶ月で海外生活も困らないレベルまでになれた一番の理由。
そして僕的には自分の経験から、日本の英会話スクールでなく留学、もしくは一人旅を進めている。あくまでこれは僕の個人的な考え方と経験からの意見です。
もちろん、日本の英会話スクールで学んでも英語は習得できると思う。
けれど僕は英語を学ぶことでなく、話せるようになった自分の先にあるものや他に得ているものこそすごく価値があるという事に気づいた。多分これが一番大切なことだと思う。
なんで日本の学校で習うのにそれでも話せないのか?
僕がカナダのバンクーバーに行ったのは23歳のとき。
知ってる単語なんて20個もなかったと思う。
なぜそんな状態で日本で学ぶでなく海外に飛び出したかといえば、単純に英語を話せる自分になりたかったからだ。
・旅行が好きだから
・英語を覚えてら仕事の幅が広がるから
そんな事を作った理由で話していたけれど、本心はただ純粋に英語を話せる自分になりたかったから。学生時代、勉強ができなかったからみんなが社会人になった今、人とは生活を送りたい、英語を話していてすごいと言われる自分になりたかった。
それが本心だった。
そんなぼくがカナダで通った学校。
もちろん一番下のクラスからのスタートで習うことといえば、
i go to school.
i like play football.
のレベルからだった。日本の中学生で習うことをまた23歳にもなってカナダにお金を払ってまでまた習い始めていた。
でもそのおかげで気づいたことがある。
英語が話せないと思っていたけれど、そんなことはなく実は使う機会がなかっただけなんだということ。なんとなく聞いたことがある単語、あっ!それ知ってる!というフレーズ、そういうものが意外とあることに気づいた。
間違ったらどうしよう?という自分の気持ちがいつのまにか、自分は話せないと自分に錯覚させてしまっていた。
案外、Helloの一言が言えるだけでも楽しいし嬉しかったりする。
なぜならその瞬間には"温度"が発生するから。
テキストに向かいあって学び蓄積するも勉強ならば、僕は言葉を発して"温度"で学ぶこともまた勉強かと思っている。
ぼくのいう"温度"とは人と人の間にある距離感と空気感のことだ。
Helloという自分のたった一言で、Helloと返してくれその瞬間に"温度"が生まれる。
そして何を言っているかわからないんだけれども笑顔で何かを伝えあい、byeと手を振って終える。
この瞬間ぼくの中には勉強しなければとか、学ばなければとか、資格とか経験とかそんなことは全部吹っ飛んで、こいつともっとはなしたい!!という気持ちに変わった。
友達が増えるたびにその気持ちは強くなる。
自分の好きなことを伝えたい、相手の国のことを知りたい、そんな気持ちはもちろん英語というものの吸収を早くしてくれた。
それ間違いなく"温度"があるからこそ感じ生まれた感情と自分の行動の変化だと思う。
いつか旅行に行ったら。。。
将来は海外で仕事をしたいから。。。
その気持ちよりも、目の前のこの人とはなしたい!!
その気持ちは何よりも勝っていた。
話せないんじゃなくて、話さないという選択を自分の中に理由をつけてしていただけだった。
自分なりの理想の環境作る
最初にもはなしたようにぼくは海外へ出るという選択をお勧めしている。
一人旅だろうが、語学留学だろうが、インターンだろうが、ワーホリだろうが、その選択を進めている。
なぜならば圧倒的に環境が違うからだ。
駅前留学で英語をみっちり勉強しても、建物から出た瞬間から目からも耳からも日本語が飛び込んでくる。
道行く人の会話、看板、広告、音楽、アナウンス、人、そのほぼ全てが日本語。
無意識の中でやっぱりどうしても慣れた言語というのは入ってきてしまう。
その点、外に出てしまえばそれらは全て外国語に変わる。
これだけでも、ぼくはものすごい差があると思っている。
電車やバスに乗るのも、コンビニで買い物するにも、薬局で薬を買うにも、
英語で伝えなければならなくなった時、否が応でも必要性を感じて勉強してしまう。
友達と話したいという気持ちとこの生活が重なり合うともうやらない理由なんてない。
だって、やりたいこととやらなければいけないことが一致するから。
英語が話せないと思う人ほど、そのまま海外に出た方が間違いなくいい。
行く前のぼくは不安しかなかったけれど、きっと行かなかったら一生後悔したと思う。
自分を変えるには環境を変えるのが一番。そんな言葉があるけれど本当にそうだった。
海外に行くことも、語学学校に行くこともだけれど、ぼくが1ヶ月で英語が普通に話せるようになった方法はまた別の記事で書こうと思います。
英語の先にあったもの
なぜ、英語を勉強したいのか?
ぼくはよくそんなことを振り返って考えた。
・仕事
・旅行
・資格
・趣味
理由は様々だけれど、やっぱりそんなことが最初に出てきた。
ただ今思うのは英語が全てでなかったということ。
学校で一番と言ってもいいくらい英語ができず留学したぼくが、なぜ学校で一番友達が多かったか?
歌うこと、踊ること、絵を描くこと、飲むこと、それと同じで英語も人とのコミュニケーションの手段の一つでしかないということに気づいたからだった。
話せないならHello !!!とめっちゃ笑顔で毎日いう。
わからなくてもその輪から出ることなく、なんかわかんないんだけどお前といるの好きだぜ!という空気感を出してみる。
ご飯行こうぜ!の誘いは断らない。
ぼくはまずこれを徹底した。
すると、あっという間に友達が増えた。(これが起爆剤となってぼくは、先にも書いたある方法を思いついて英語を10倍速で覚えた。)
英語が話せるようになりたいと漠然と考えていたぼくは、カナダに留学してみた。
めっちゃ怖くて不安で、不安で、不安しかなかったけれど、その時に一歩踏み出したことがその後の人生を変えてくれた。
あの時できた世界中の友達を訪ねて世界を回ったり、時には一緒に仕事をしたり、英語を間に日に行ったはずのぼくは世界中に人という財産を手にすることができた。
英語をおぼえたい。その気持ちは勇気を出して踏み出しただけで自分の想像を超える日常が待っていた。
だからぼくは、自分の経験から同じような気持ちを持った人たちに自信を持って進めている。
自分の枠の外側は怖くて不安だけれども、枠の外にはワクワクしかない。