カンボジアの孤児院で急にビックダディーになっちゃった日本人の奮闘記

カンボジア在住の30代の奮闘記。気づいたらボランティアでも支援でもなくお兄ちゃん兼、お父さんになっていた。

ボランティアに行く前に心得ておく3つの事。

 

さぁ今年の春は海外ボランティアに行くぞ!

今年こそ!夏休みを使ってボランティアにいくぞ!

 

という、あなたにちょっとだけ伝えたい3つの事があります。

 

最近、学生の子達とよく会う中でよく聞く言葉。

 

それが、「ボランティアをしに来ました!」という事。

 

元気よく答えてくれる子もいれば、

小声で、「ボランティアで学校建設に来てます。。」なんて子もいたりと、”ボランティア”にも本当に様々なタイプの人がいて面白いなって思います。

 

 

◯なんでボランティアをしたいの?◯

 

あなたはこの質問になんて答えますか?

 

僕もよく聞きます。

なんでボランティアをしたいの?

なんでカンボジアでボランティアだったの?

 

そんな純粋に心のど真ん中が聞けたら嬉しいなと思う質問の答えは大抵がなんか面接の答えみたいだったり、かっこよく飾られた言葉だったりする。

 

・将来海外ボランティアの仕事に就きたくて!

・学生のうちに人とは違ったことをしておきたくて!

カンボジアの子どもたちに何かしてあげたくて!

 

などなど本当に会話が面接のようになってしまったりする。

 

”いや、なんか自分にもできることないかな?と思って”

”日本でなんか悶々としてて自分を変えたくて”

”わかんないです!”

 

っていうようなシンプルだったり、自分の弱さだったりそんなものがなく、その言葉には本当の気持ちがなかったりします。

 

世界中からやってくるボランティアさんをアテンドしていて気づいた3つのこと。

 

 

●1つ目に【貧しい】ということを頭に入れすぎているということ●

 

やってくるボランティアさんの大半は、服であったりお菓子であったり、筆記用具であったり、様々なプレゼントを持って来てくださいます。

その中でもちろん必要で有難い”物”もあれば、逆に集まりすぎてしまう”物”もあったりします。  

 

そしてカンボジアという国のイメージにまだまだある”貧しい”というイメージは、物だけでなく人もイコールにされてしまっていたりもします。

 

裕福と豊かは必ずもイコールでないこと。

ないものはたくさんあるし、不便なこともたくさんあるけれど、それイコール豊かでないということ。

 

一度カンボジアへ行った人の共通の言葉で子どもたちの目がキラキラしている。ということがありますよね?

 

孤児院の子どもたちも確かに様々なバックグラウンドがあるけれど、それでも今を懸命に生きて、たくさんの人と住む中で心の豊かさは育まれています。

だからもらったものは独占せず、誰がいうでもなく分け与えてシェアすることを知っていたりもするんです。

 

貧しいからかわいそう。

貧しいから何かしてあげたい。

 

そんな気持ちは自分にとっては大切かもしれないけれど、相手が感じてもいない感情かもしれないですね^ ^

 

 

 

●2つ目にお邪魔しているということ●

 

イェーイ!!って勢いでやってきて、急に遊ぼう!とテンション高くやってくる大学生がたまにいます。

はたまた、バスでブォンってきたかと思えば、何箱もある服が入った段ボールを持ってきて、子どもたちを集めて写真を撮り、数分で帰っていく人もいます。

 

けれどもその時、子どもたちにも元々ある生活も大切な時間があるということを忘れてはいけないと思うんです。

 

もしかしたらあなたが訪ねて行ったその時、宿題をしている子がいるかもしれません。

 

もしかしたらあなたが訪ねて行ったその時、子どもたちはお昼寝の時間かもしれません。

 

もしかしたらあなたが訪ねて行ったその時、子どもたちはボランティアさんが来てくれているからしっかり対応せねばと本来やるべきことを後にして、遊んでくれるかもしれません。

 

これらはたとえ話でなく、実際によく目にするスチュエーションだったりします。

 

あくまで僕たちは外国人。

カンボジアという国の、カンボジア人の彼らの家へお邪魔するということはやっぱり最低限のモラルであったり、マナーであったりを持たないといけないと思うんです。

 

急に自分の家に、アメリカ人がやって来て、ハロー!って言いながら自分の家をウロウロし出したらちょっとどころかだいぶ気分悪くないですか??

 

そんな感じのイメージです。

 

あくまで僕たちはお邪魔させてもらっている。

そこで、日本では見られなかったり感じられないような感覚や経験をさせてもらっている。

 

もしかしたらボランティアをしてもらってるのは僕らの方なのでは?と思ったりもします。

 

 

●3つ目に、そこには”おかげさまのおたがいさまが”なかなか生まれないということ●

 

自分の貴重な時間を使っていくんです。

頑張って働いたお金でいくんです。

 

どうせなら、行ってよかった!

あの子達に会えてよかった!

 

そんな一方通行な気持ちでなく、

お互いの人生の中で、ふとした時に思い出せるようなそんな心に残る関係のが素敵だよなっていつも思います。

 

僕自身、ずっと支援をしてボランティアをしてきたのでその時あった自分の達成感や、自己肯定感をすごく覚えています。

 

けれど、振り返った時、僕は果たして人の心に残るような生き方をできているのかな?と考えることがありました。

 

その時、自分の中で出た答えが、与えるでなく、共に過ごす。ということでした。

 

たくさん子どもたちと遊ぶもよし、

たくさん子どもたちと話すもよし、

たくさん子どもたちに何かを教えてあげるももよし、

 

けれど、その行動をする前に帰る時の自分の感情をイメージしてください^_^

 

よし!やったぞ!

あー楽しかった!

笑顔に癒された〜!

 

なんて気持ちが溢れていたら、それは誰のため??

 

・・自分のため?!

 

ありがとうって言われた時、”どういたしまして”でなく、

 

”おたがいさま”だよと言える関係って素敵じゃないですか??

 

またあの人に会いたいな

またあの子に会いたいな

 

そんな風にお互いの心にお互いがいるって

すごく力になって財産になるんだって気付けました。

 

どうせ、カンボジアにお金と時間を使っていくなら、そこで出会えた人たちに、あの人に会えてよかったと思っていただけるようなそんな旅にできたら素敵ですよね。

 

難しいことでなく、特別なことをするでもなく、同じ目線に立って、座って、話を聞いてあげて、ニコッと笑ってあげたり、同じ時間をすごす。

 

当たり前な行動の中にこそ、大切なことがたくさんたくさんあると思います。

 

 

その瞬間何かすることだけがボランティアではないのではないかな?と思います。

 

5年とか10年後、そういえばあの人何してるかな?

この仕事って確かあの人の仕事だよなとか、

人生の中でふと思い出してもらえることも大切な大切な”ボランティア”なのではないでしょうか??

 

 

そうやって僕たちは”おかげさまの おたがいさま”と、お互いを思いやって、感謝しあって、笑って生きていく。

 

そんな素敵な関係こそ、僕が目指すものであって、その瞬間に気合いをいれてくるボランティアさんに伝えたいことだったりします。

 

 

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