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カンボジアの孤児院で急にビックダディーになっちゃった日本人の奮闘記

カンボジア在住の30代の奮闘記。気づいたらボランティアでも支援でもなくお兄ちゃん兼、お父さんになっていた。

カンボジアの孤児院というものを側で見てきて

孤児院というと日本ではどんなイメージだろう??

 

両親がいなかったり、虐待を受けていたり、

貧しい家庭のためやむを得ない状況であったり、、、そんなどこか暗いイメージが強いのではないだろうか??

 

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もしくは、日本の児童養護施設のようなイメージを持っている人も多いかも知れないですね。

 

僕自身もずっとかかり始めるまでがそうでした。

 

だから、僕が孤児院へ訪ねて行くときはよく、

 

お菓子をたくさん持っていったり、

文房具を持っていったり

服を持っていったり

 

”何か渡してあげたい”

 

という気持ちでいつもあふれていました。

 

心のどこかでかわいそうと思っていたんだと思います。

 

ところが、1年に3〜4回、日本からいつも通っていた頃はそれでいて違和感なんて感じませんでした。

 

が、カンボジアに移住しだしてから、その違和感にぶち当たりだしました。

 

あれ?何か期待されているぞ?

あれ?次はこれが欲しい!と求め出されているぞ?

あれ?渡したものが無造作にそこら中に散らばっているぞ?

 

多くのボランティアさんがやってくる孤児院。

 

そのボランティアさんが来てくれることが当たり前。

そのボランティアさんが何かくれるのが当たり前。

そんな”当たり前”を感じ始めてしまったのですm(__)m

 

ボランティアさんによって助けられるという現実。

 

ボランティアさんによって子どもたちの何かが崩れてしまっているという現実。

 

このどちらが悪いということはなくこれが現実だったりします。

 

もちろんみんなで何かすることは楽しいです。

 

 

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そして、思いを持って動くことはとってもいいこと。

 

ただ時にそれが一過性のものや、

一方通行になってしまっていることがあります。

 

小さな親切が大きなお世話にならないためにも、自分の中で”なぜ”それをするのかをしっかりもって、その気持ちを大切に行動することが大切なのかも知れませんね。

 

 

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夢があろうとなかろうと。結果なるものになる!理論。

カンボジアへやって来て早5年。


5年前の僕はただ単に勢いで生きていた。


こんな事して人の役に立つんだ!

誰かの力になるんだ!


知性 0

熱さ 100

素早さ 80

力 40


そんな感じのステータス。


お米を届けたり、服を届けたり、


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文房具を届けたり、


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そんな風に人に与えることで自分が満たされていたと思う。

いや、与えていたつもりだったのかも知れない。


深く深く考えれなかった僕は、


「小さな親切、大きなお世話」


という言葉に初めて直面したのを覚えてる。


そんな昔話は追って書こうと思う。


結果今どうなっているかというと、


子どもたちとMIRAIというブランドを立ち上げたり


気づけば40人のお兄ちゃん兼、お父さんみたいになっていた。


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もちろん、ここまでのストーリーを話そうと思ったらそりゃ語りたいことは山ほどある。

(後々書いていきたいなとおもってます)



人生なんて不思議なもので、

子供の頃に思い描いた夢の通りになることのが少ない。


なぜかっていうと、きっと見るものがすごく広がってしまうから。


子どもの頃の夢を覚えてますか?


スポーツ選手

お菓子屋さん

車屋さん

おもちゃ屋さん

先生

 

などなど。


自分が見たことのあるもの・知っているものからしら自分よ夢は生まれないから、そんな風に子どもの頃の夢は偏った業種に多いと思う。


それが大人になるにつれ、

挫折を味わったり、感動を味わったり、

100円だったお小遣いが時給900円になったり、

自分の行動する幅、見れるものの幅が広がって行くと、


あれ?これやってみたいかも。

あれ?この仕事したいかも。

あ!ここに住みたい!


とか夢が生まれていく。


だから夢が変わらずまっすぐ追っている人はすごいけど、だからといった変わるというのは悪くない。むしろそれすらとってもいい事だとも思う。



英語もA-Zがスラスラ言えなかった僕が、

英語を使って生活している。

なんだったら呪文みたいなカンボジア語をちょっと覚えてしまっている、



子どもの頃のサッカー選手という夢はどこへ??


それがなくなって悲しいかと言われたらそうじゃない。


むしろ夢がない事が最強だとおもった時期すらある。


だってなんでも出来るから。

決めてないからまだまだ選べる。


そんな時期を堪能しまくった僕は、


結果いま、なぜだか孤児院の子どもたちのお兄ちゃん兼、お父さんとなった。


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なんどもいうけど、またこれからその辺りを書いていこうと思う。