カンボジアの孤児院で急にビックダディーになっちゃった日本人の奮闘記

カンボジア在住の30代の奮闘記。気づいたらボランティアでも支援でもなくお兄ちゃん兼、お父さんになっていた。

5年間という月日がぼくに教えてくれた大切なことは○○する力だった話〜30歳で40人の親 兼 お兄ちゃんになった男の日記〜

 


誰かや何かの力を借りることは簡単だけれど

 

 

支援も寄付もあえてそれを選択しなかった5年間。

 

全てが創造で全てに自己責任が取れる範囲での挑戦。

 

自分たちに出来る範囲のことで
一つ一つ手探りで、手作りして来た。

 

手作りの学校も学校らしくなり

 

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何もなかった空き地には花畑ができ

 

 

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みんな会話のベースが英語で話せるようになった。

 

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与えられるでも与えるでもなく
考えるでも考えてあげるでもなく

 

僕たちが決めるでなく、みんなで話して、

”人と人の間にある答え”を選択する。

この一年はそんな一年。

 

 

裕福ではないけれど
僕たちはより豊かになった。

 

 

人と共に生きる
人と関わりながら生きる

 

好きが嫌いになったり
また嫌いが好きになったり

右往左往しながらも


ど真ん中にある感謝と愛を大切に。

 

 

Do my best じゃなく
Do our bestで進んでく。

 

 

コツコツすることって本当に苦手です。

 

できればすぐにでも形にしたいと思ってます。

それも自分の理想通りに。


けれど、不思議なもので、

自分の思い通りにはならないことが多い。

人を自分の思い通りになんてできないから。

 

 

コツコツコツコツ。

喧嘩したり、ぶつかったり
嫌になったり、諦めかけたり、

 

それでもそばにいてくれる人
それでも大切に残ってる思い

 

 

 

それを感じると自分の正解は自分だけのもので

 

みんなにとってよくなる正解は
みんなとの会話からしか生まれない。

 


信じてあげる。

 

その力が何よりも大きく、何よりも難しい。

 

 

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母子家庭の長男として、母から学んだたった1つの大切なこと。

親ってすげぇ。


「殺すぞ」
「死ね」


反抗期の僕はそんな言葉を発したり手を出していたけれど、
その言葉をいまぼくは子どもたちから受けたらきっとショックすぎて3日は引きこもる。笑

 


今だからこそわかる親の凄さがあります。

 


何を言われても
どれだけ傷ついても
人知れず涙をながして

次の日にはいつものように朝ごはんを作ってくれた。
次の日にはいつものようにおはようと話してくれた。

 


相手にどう思われたいからの行動や言葉でなく、母の中には相手をどう思えるかの行動や言葉が常にあった。

 


今の生活の中、
学校で教えてもらってきたことよりも、
はるかに家の中で教えてきてもらったこと、
叱られてきたことのが生きている。

 

たぶんそれは社会人としてこうあるべきだを教える学校とは違って、

 

 

”人として”を教えてくれてたからだと思う。

 


けれど、


小学校の僕はゲームをやめさせる母親がうっとうしくて、


中学生の僕はサッカーばかりでなく勉強しなさいという母の声が嫌いで、


高校生の僕はあんた将来どうするの?という一言がとても嫌いだった。


そこには感情でなく、

ただ単に子への心配と思いやりしかないといまならわかるのに、昔は本当にわからなかった。

 

とくに何が出来ているわけではないけれど、
そんな事を感じられる歳になったんだなぁ〜と思う。

 

 

が、

 

”私は勇太とは喋らない”
と言われショックを受けた30歳の春。笑

 


”相手にどう思われるか”でなく”自分がどう思い続けられるかが大切”

 

 

母から学んだ1番大切なこと。

 

 

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大切?必要?お金ってもののリアルな存在。

 

 

お金は必要なもの。

 

 

それは目をつむれない事実だと思う。

 

けれど、大切でなく必要なもの。

 

大切なものを守ったり

自分のやりたいことをやるためであったり

そんなものを叶えてくれる必要なもの。

 

 

だからこそ使い方って大切だし、


お金は大切じゃなくて必要なものなんだよ〜。

そんな授業や会話を時たま子どもたちとし続けて早2年。

 

 

少し前に、うちの物件のすぐ真横でガス屋が大爆発して炎上するという事故が起きました。

 

 

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幸い僕らの物件は無事でしたが、
仲良くさせてもらってるお隣のクリーニング屋さんは残念な結果となってしまいました。

 

 

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もちろん命は助かったことが何よりですが、
やっぱり保険も何も持ってないであろうことを考えるとなんかできることはしないとなと思って孤児院へ帰るや否や、みんなは大慌てで駆け寄ってきた。

 

 

「ゆうた大丈夫?」
「ケンタは大丈夫?」

 

僕らは大丈夫だったけど、
隣のクリーニング屋さんの家族の家はダメだったよって伝えると、

 

「ゆうたの友達?」

「友達というかお世話になってる人たちだよ」

 

そう伝えると、満場一致で出してきた答え。

 

 

 

それに僕は感動して泣いてしまった。

 

 

”今月のみんなのアクセサリーや絵の売り上げは私たちは100リエル(カンボジアの最小通貨通貨)もいらないから、その家族に渡してあげて。もうすぐお正月だし助けなきゃ!”

 

 

その言葉に、すぐ銀行にいって全額降ろし子どもたちと届けに行きました。

 

 

初めましてなのにお互いに泣き合う姿。

ありがとうと、どういたしましての言葉。

 

 

大切なものをたくさんたくさん教えてもらい
大切なことをたくさんたくさん伝えてくれた。

 

 

お金は必要なもの。

 

 

そして、困った時はおかげさまのお互い様。

 

 

自分の家族や友達だけでなく
大切な人の大切な人も大切にする。

 

 

それができる子どもたちを僕は誇りに思う。

 

 

失うことは悲しいし辛いけれど
気づかせてもらうことがたくさんある。

そんな日々に感謝。

僕らの人生はまるで◯◯◯◯

まずは、結論から言ってしまう。

 

 

【人生=リアル ドラクエだと思ってしまってるという話】

 

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”好きなことを仕事にしたい''

 

そんな相談を大学生や、社会人をしている20代の子によくされます。

 

 

やっぱり一度きりの人生。


相談されたら僕は迷わずなんとなくの就職ならば、好きなことを選んだ方が良いよといいます。

 

だって、なんとなーく就職したって誰も自分の人生に責任を取ってくれないから。

 

公務員とフリーターなら僕はいま学生に戻っても迷わずフリーターを選ぶ。

 

ドラクエみたいに進んでいった時、

レベルアップしたら、

 

公務員は役職と給料があがる。
フリーターは経験値があがる。

 

これって実は30歳、40歳になったら、すっごい差が出来てるとおもう。

 

ドラクエで最初自分は戦士という職業をやっている。

 

けれどあるところまでいくと、
戦士を極めてそれ以上は成長しない。


最強の戦士だけれど、それで、

おれ最強レベルの戦士です!って名乗ってるのも1つ。

 

けれどゾーマ倒して、

世界を平和にするって”目的”には

戦士じゃ太刀打ちできない。

 

最強になった戦士という役職をすてて、
次は魔法使いという職業を選んでみる。

 

 

なんでこんなHP低くなってんだ!
攻撃力弱っ!!!

 

 

そんなことを最初感じながら、戦士だったらどんなに楽に進めてたかと思いながら進んで行く。

 

するとレベルアップに連れて、
あれ?自分で自分のHPを回復できるっていい!
こんなに遠距離攻撃がありがたいとは!
ってな感じで徐々にいまの職業に”慣れ”ていく。

 

するとまたまた最強レベルの魔法使いになって成長は止まってしまう。

 

そこでまた、最強レベルの魔法使いを名乗るのか?

 


それともはたまた職業を変えるのか?という選択が訪れる。

 

 

けれどこの時違うのは、


自分が経験した職業の数だけ選択肢とレア度の高い職業(人物)になれるということがある。

 

戦士と魔法使いを極めた先には、『魔法戦士』というレア度が上がった職業になれちゃったりする。

 

 

力も戦士並み
魔法も使えちゃう

 

そんなちょっと人とは違う自分になっている。

そして、戦士や魔法使いをやっている人やなりたい人に経験として伝えてあげられることがある。

 

 

これを繰り返すと、人がなんとなーく生きてる間に、平社員が係長になってる間に、いろんなことを経験して勇者とか賢者とかスッゲェやつに自分がなっていちゃったりする。

 

 

これって僕らのリアルにめちゃくちゃ当てはまる。

 

◯◯芸人って言葉があるように
A+Bで新しいものになれちゃうから。

 

そうやって好きなことをするってのは実は可能生がめちゃくちゃあるし、
自分をすごく成長させてくれ、たくさんの仲間にも出会えたりする。

 

 

だからこそ、ドラクエみたいに出来るようになった職業を捨てて変え、居心地の良くなった村を出て、新しい場所で人に素直に聞いて今までより強い敵(壁)を倒していく人生にしていきたいとおもっている。

 

 

けれど、ぶっちゃけた話、
好きを仕事にするって実はすごく大変。


だって責任は全部自分。


好きが嫌いになることだってある。

 

 

だからこそ決意でなくてすっごく覚悟がいるよって話(°▽°)

 

 

ぼくの周りにはそんな職業を捨てて目的のために自分を変えて進化してる人がたくさん。

 

 

ぼくもそろそろ吟遊詩人から転職せねば( ̄∀ ̄)

 

踊り子か笑わせ師を極めたら、
スーパースターになれるらしい!!

 

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でもなりたい職業は”はぐれメタル”m(._.)m

道はまだまだ険しいぜぃ。。

 

 

カンボジア正月ってなんだ?!カンボジア式正月の過ごし方!孤児院編

カンボジアって不思議な国なんです。

 

だって、

 

だって、、

 

正月が3回あるんだもん。

 

正式にいうと、みなさんがよく知っては1/1元旦。つまり国際的なハッピーニューイヤーが一回。

 

そして、中国の旧正月で2回目。

 

そして、4月にあるクメール正月が3回目。

 

これに加え、クリスマスだったり水祭りだったり、わけのわかんないお祭りや祝日もあったりと、まぁなんというかすっごくゆるくていい国なのです!!笑

 

 

そんなクメール正月。

 

お店はほとんどしまったりしてしまいます。

 

理由は、カンボジア人の人たちが休みたいから。もちろんlazyな意味合いでなく(たまにそんな人もいるけど)正月は田舎へ帰ったりする人が多いため。

 

 

孤児院でも同じように子どもたちの半分くらいは田舎へ数日帰ったりしていきます。

 

孤児院って親がいない子がいるんじゃないの?!って思われた方。

 

僕も最初はそう思ってました。

 

けど厳密には、

 

両親共いない子

片親の子

経済的に困難な子

両親が出稼ぎに行ってしまっている子

田舎に学校がない子

 

などなど実に理由は様々なのです。

 

なので、中にはお正月に家族に会いに田舎に戻る子がいます。

 

残る子たちは孤児院でみんなと過ごします。

 

かわいそう。。。なんて思うなかれ。

 

残った子達は、

お腹が痛すぎて悶絶するくらい

笑いすぎて顔が筋肉痛になるくらい

みんなで正月の遊びをしてめちゃくちゃ楽しく過ごすんです。

 

そんなクメール正月の様子を写真でいくつか。

 

 

コタツに入ってみかんを食べて

お笑い番組をみて、凧揚げして

 

そんなお正月のかけらなんて一ミリもないです。

 

汗をビッショリかきながらみんな本気のゲームをしてます。

むしろ運動会です。

 

参加してみたい方!!

来年の4月にぜひお越しを^ ^

 

 

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ボランティアに行く前に心得ておく3つの事。

 

さぁ今年の春は海外ボランティアに行くぞ!

今年こそ!夏休みを使ってボランティアにいくぞ!

 

という、あなたにちょっとだけ伝えたい3つの事があります。

 

最近、学生の子達とよく会う中でよく聞く言葉。

 

それが、「ボランティアをしに来ました!」という事。

 

元気よく答えてくれる子もいれば、

小声で、「ボランティアで学校建設に来てます。。」なんて子もいたりと、”ボランティア”にも本当に様々なタイプの人がいて面白いなって思います。

 

 

◯なんでボランティアをしたいの?◯

 

あなたはこの質問になんて答えますか?

 

僕もよく聞きます。

なんでボランティアをしたいの?

なんでカンボジアでボランティアだったの?

 

そんな純粋に心のど真ん中が聞けたら嬉しいなと思う質問の答えは大抵がなんか面接の答えみたいだったり、かっこよく飾られた言葉だったりする。

 

・将来海外ボランティアの仕事に就きたくて!

・学生のうちに人とは違ったことをしておきたくて!

カンボジアの子どもたちに何かしてあげたくて!

 

などなど本当に会話が面接のようになってしまったりする。

 

”いや、なんか自分にもできることないかな?と思って”

”日本でなんか悶々としてて自分を変えたくて”

”わかんないです!”

 

っていうようなシンプルだったり、自分の弱さだったりそんなものがなく、その言葉には本当の気持ちがなかったりします。

 

世界中からやってくるボランティアさんをアテンドしていて気づいた3つのこと。

 

 

●1つ目に【貧しい】ということを頭に入れすぎているということ●

 

やってくるボランティアさんの大半は、服であったりお菓子であったり、筆記用具であったり、様々なプレゼントを持って来てくださいます。

その中でもちろん必要で有難い”物”もあれば、逆に集まりすぎてしまう”物”もあったりします。  

 

そしてカンボジアという国のイメージにまだまだある”貧しい”というイメージは、物だけでなく人もイコールにされてしまっていたりもします。

 

裕福と豊かは必ずもイコールでないこと。

ないものはたくさんあるし、不便なこともたくさんあるけれど、それイコール豊かでないということ。

 

一度カンボジアへ行った人の共通の言葉で子どもたちの目がキラキラしている。ということがありますよね?

 

孤児院の子どもたちも確かに様々なバックグラウンドがあるけれど、それでも今を懸命に生きて、たくさんの人と住む中で心の豊かさは育まれています。

だからもらったものは独占せず、誰がいうでもなく分け与えてシェアすることを知っていたりもするんです。

 

貧しいからかわいそう。

貧しいから何かしてあげたい。

 

そんな気持ちは自分にとっては大切かもしれないけれど、相手が感じてもいない感情かもしれないですね^ ^

 

 

 

●2つ目にお邪魔しているということ●

 

イェーイ!!って勢いでやってきて、急に遊ぼう!とテンション高くやってくる大学生がたまにいます。

はたまた、バスでブォンってきたかと思えば、何箱もある服が入った段ボールを持ってきて、子どもたちを集めて写真を撮り、数分で帰っていく人もいます。

 

けれどもその時、子どもたちにも元々ある生活も大切な時間があるということを忘れてはいけないと思うんです。

 

もしかしたらあなたが訪ねて行ったその時、宿題をしている子がいるかもしれません。

 

もしかしたらあなたが訪ねて行ったその時、子どもたちはお昼寝の時間かもしれません。

 

もしかしたらあなたが訪ねて行ったその時、子どもたちはボランティアさんが来てくれているからしっかり対応せねばと本来やるべきことを後にして、遊んでくれるかもしれません。

 

これらはたとえ話でなく、実際によく目にするスチュエーションだったりします。

 

あくまで僕たちは外国人。

カンボジアという国の、カンボジア人の彼らの家へお邪魔するということはやっぱり最低限のモラルであったり、マナーであったりを持たないといけないと思うんです。

 

急に自分の家に、アメリカ人がやって来て、ハロー!って言いながら自分の家をウロウロし出したらちょっとどころかだいぶ気分悪くないですか??

 

そんな感じのイメージです。

 

あくまで僕たちはお邪魔させてもらっている。

そこで、日本では見られなかったり感じられないような感覚や経験をさせてもらっている。

 

もしかしたらボランティアをしてもらってるのは僕らの方なのでは?と思ったりもします。

 

 

●3つ目に、そこには”おかげさまのおたがいさまが”なかなか生まれないということ●

 

自分の貴重な時間を使っていくんです。

頑張って働いたお金でいくんです。

 

どうせなら、行ってよかった!

あの子達に会えてよかった!

 

そんな一方通行な気持ちでなく、

お互いの人生の中で、ふとした時に思い出せるようなそんな心に残る関係のが素敵だよなっていつも思います。

 

僕自身、ずっと支援をしてボランティアをしてきたのでその時あった自分の達成感や、自己肯定感をすごく覚えています。

 

けれど、振り返った時、僕は果たして人の心に残るような生き方をできているのかな?と考えることがありました。

 

その時、自分の中で出た答えが、与えるでなく、共に過ごす。ということでした。

 

たくさん子どもたちと遊ぶもよし、

たくさん子どもたちと話すもよし、

たくさん子どもたちに何かを教えてあげるももよし、

 

けれど、その行動をする前に帰る時の自分の感情をイメージしてください^_^

 

よし!やったぞ!

あー楽しかった!

笑顔に癒された〜!

 

なんて気持ちが溢れていたら、それは誰のため??

 

・・自分のため?!

 

ありがとうって言われた時、”どういたしまして”でなく、

 

”おたがいさま”だよと言える関係って素敵じゃないですか??

 

またあの人に会いたいな

またあの子に会いたいな

 

そんな風にお互いの心にお互いがいるって

すごく力になって財産になるんだって気付けました。

 

どうせ、カンボジアにお金と時間を使っていくなら、そこで出会えた人たちに、あの人に会えてよかったと思っていただけるようなそんな旅にできたら素敵ですよね。

 

難しいことでなく、特別なことをするでもなく、同じ目線に立って、座って、話を聞いてあげて、ニコッと笑ってあげたり、同じ時間をすごす。

 

当たり前な行動の中にこそ、大切なことがたくさんたくさんあると思います。

 

 

その瞬間何かすることだけがボランティアではないのではないかな?と思います。

 

5年とか10年後、そういえばあの人何してるかな?

この仕事って確かあの人の仕事だよなとか、

人生の中でふと思い出してもらえることも大切な大切な”ボランティア”なのではないでしょうか??

 

 

そうやって僕たちは”おかげさまの おたがいさま”と、お互いを思いやって、感謝しあって、笑って生きていく。

 

そんな素敵な関係こそ、僕が目指すものであって、その瞬間に気合いをいれてくるボランティアさんに伝えたいことだったりします。

 

 

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一番大切なのは◯◯力。

子供たちと毎日同じ時間を過ごす。

 

その時間少なくとも1日11時間

 

そんな時間が一ヶ月、2ヶ月、半年、1年、2年、、、と過ぎていく中で、

得たくもないのに勝手に身につけているものがある。

 

 

それが慣れだ。

 

人への慣れ、生活習慣の慣れ、仕事への慣れ、いろんな慣れを知らず知らずのうちに身につけてしまっている。

 

 

そんな慣れは、自分はこれくらいだと錯覚させてしまったりもする。

・自分の能力はこれくらいだろう

・自分の人生はこんな感じだろう

・自分は一生、あの人には追いつけないだろう

 

慣れてしまうことによって無意識のうちに自分のキャパを作ってしまっていたりする。

 

 

そんなことを考えるようになってから、学校の勉強が与えてくれたものはなんだろう?と真剣に考えてみたりしだした(勉強したと言えるほど勉強はしてないけれど。。)

 

 

・人と同じことをするための能力

・組織にはいいて即戦力になるための能力

 

これが学校で与えてくれる大きなジャンルでの能力。

 

 

ドラクエで言うと、村人になるための能力を鍛えられ、

自分の人生を歩むための勇者としての能力を鍛えられないという感じ。

 

 

 

そんな教育と価値観を持った僕らが、

教育は大切!勉強する場を!機会を!と途上国の子達に思っていたりする。

 

 

けれど、僕はびっくりしたことがある。

 

この国の子達には、クリエイティブの元から持っている力(ステータス)が圧倒的に高いと思ったこと。

 

 

自分たちでなんでも作る、直す、とやってのけてしまうのだ。

 

 

これってすごいことだと思う。

 

 

ドラクエの話に戻るが、

僕たちの受けたものって、村人に「どこで木が買えますか?」「どこで火が買えますか?」と聞く能力であったり、

もしくはネットで、「情報によるとこの木は燃えやすいらしい」「マッチはあのお店に売っているらしい」と調べたりする能力。

 

かと思えば、ここの人たちは「んー、、火がないと困る。。どうすればつくやら。。。?」って考え、あれやこれやと試し、気づいたら火をつけている。

自力で付けることもあれば、行動した結果、見て笑っていた人が持ってきてくれちゃったり。

もしかしたら、メラ!っと扱う人が出るんじゃないかってくらい、目の前のことに真剣に頭を使って知恵をだしている。

 

 

これってめちゃくちゃ大切だなって思うんです。

 

 

 

めちゃくちゃ大切な力だと思うんです。

 

 

それが、想像力!!!

 

子供の頃、ドラゴンボールみて、いつか自分もカメハメ波が出るとか武空術が使えるとか考えるも想像力。

 

どうやって?誰が?なんで?あそこにいこうなんてなったんだろう?と月をみながら考えるも想像力。

 

20年後の自分は何をしているだろう?を考えるも想像力。

 

そんな想像力は何歳になってしまってもいくらでも鍛えられたりすると思っています。

 

 

想像力は人をクリエイティブにし

クリエイティブは人をポジティブにし

ポジティブは人をどんな境遇でも立ち上がる強さをくれる

 

 

だからこそ僕はアートのちからを誰よりも信じている。

 

勉強は教えられない。

 

だってなぜ大切か自分がわかっていないから。

勉強ができるできないでないという部分が人生の中で大切なことを左右するわけじゃないから。

経験していないから、わかっていないから、勉強しなよ!なんて無責任なことは間違っても子どもたちに言えない。

 

 

けれど、仕事ってたのしいよ!大人になるってたのしいよ!は伝えられる。

 

失敗しちゃったけど、すごい経験できた!

お金を損したけど、そのおかげで出会えた人たちがいた!

こんな下手な絵なのに、世界の反対側でほしいと買ってくれ喜んでくれる人がいた!

 

ネガティヴでなくポジティブに。

もっといえば、ネガティヴでもポジティブでもなくフラットに。

 

僕たちが勉強で教えられてきた正解は白か黒。

 

けれど、生きていく中で白と黒なんかで決められないことがたくさんある。

 

 

むしろ後になって、あれがあってよかったと黒を白に塗り替えられたりもする。

 

物事を点で見るでなく線で見られるように。

 

想像力は間違いなく人生を豊かにしてくれる。

 

 

僕がカンボジアから学び、カンボジアの子供達に教えている唯一のこと。

 

 

想像から全てが始まる。

その瞬間、その未来は造られ始め、始まっていく。

 

 

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